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鮎川詢裕子メッセージ
8.192022
コミュニケーションをあきらめる前に
こんにちは。鮎川詢裕子(あゆかわじゅんこ)です。
最近、こんな話をよく耳にします。
- 誰かと何かを進めていく際に違和感を感じ、断ることにした。
- 期待していた反応とはちがったので、あきらめることにした。
- 申請書類を出したら不備を指摘され、面倒になってしまった。
誰にでも、多かれ少なかれ経験があるかもしれませんね。
あなたはいかがですか?
この3つの話を、それぞれもう少し聞いてみると、
相手とコミュニケーションをそれほど取ることなく、
自己判断のみで結論を出しているケースでした。
気づいていない相手の事情があるかもしれないし、
話しの前提がズレているだけかもしれない。
申請の際の指摘とは、細かくて形式的すぎて面倒くさい
といった、固定観念がそう結論づけさせたのかもしれません。
ちょっと確認すれば、別の結果が待っているかもしれないのに、
そこであきらめてしまったら「もったいない」
相手と話をせずに自分の経験に照らし合わせて結論付ける
そして、それは相手のせいになって終わる
ということが私たちの身近に実はたくさんあのかもしれません。
ちょっと質問する。
確認する。
教えてもらう。
それだけで、随分展開が変わるケースもあります。
それをせずに、あきらめていたとしたら
いったいどれくらいの可能性を自ら捨てることになるのでしょうか。
やるだけやってみる
それからでも遅くありません。
ちょっと教えてもらえますか?
ちょっと相談させてもらえますか?
理解のためにちょっと確認させてもらってもいいですか?
この取り組みを大切だと思っているので、少しすり合わせさせてもらえますか?
こんな一言からはじめると、相手も聴く準備ができます。
これはどうして〇〇なんでしょうか?何かありましたか?
〇〇だと思っていたんですけど、△△というのはなぜですか?
など、心の中にあるものを素直に誠実に聞いてみることができます。
申請書類に関しても、確認しているのは人です。
必ずしも落そうと思っているわけではありません。
素直に事情を話して、
どうしたらいいでしょう?
と、相談し、心の交流が生まれると、通知とは違う簡略的な方法を
教えてくれることもあるのです。
先日、メルカリであるものを購入したら、購入したのと別の品物が届きました。
包みを開けて、それが分かった時に、「面倒なことになった」
と一種のあきらめ感が湧いてきました。
気を取り直して、販売者の方に連絡をしたところ、
届いた品物を販売者本人は扱っていないとのこと。
そして、販売者からの送付番号などの質問に答えると、
販売者がメルカリに連絡くださって、経過を連絡してくれるようになりました。
丁寧な対応がありがたくて、私も状況を報告すると
解決へのプロジェクトを一緒に進めているチームのような感じになってきました。
そこへ、配送業者から連絡が入り、その業者さんとも一緒に解明しながら
少しずつ実態がつかめてきました。
あと少しで何が起きていたのかが判明しそうです。
思う通りにならないことや、面倒なこともあったりします。
人は一人ひとり違うし、ボタンの掛け違いを放置しておくと
どんどん複雑になるケースもよくあります。
でも、心を開いて相手と向き合っていくと、
自分だけでは行きつけなかった世界に行きつくこともあるのです。
うまくいくことも、そうでないこともありますが、
あきらめるまえにもうちょっとトライしてみると、
少し世界が違って見えるかもしれません。
最後までお読み下さりありがとうございます。
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